🧎 「待つだけ」の時間に、私たちは何を感じているのか
少し時間が空くと、つい何かを探してしまう──
スマートフォンを開いたり、ニュースを流し読みしたり、SNSをスクロールしてみたり。「何もしていない状態」を、できるだけ避けようとしてしまいます。待つだけの時間は、退屈で、意味がなく、できれば減らしたいものだと感じられがちです。
けれど、待つ前に抱いている「何もしないのはもったいない」という感覚は、実際に何もせずに過ごしたあとの感じ方と、本当に同じなのでしょうか。
心理学の分野では、あえて刺激を取り除き、「ただ待つ」「ただ考える」状況を実験的に作り、その前後で人の感じ方を比べた研究があります。
日常では意識されにくいテーマですが、この比較から「待つ時間」に対する私たちの見方には、一定の偏りがあることが示されています。
中医学では、外からの刺激が多い状態が続くと、「気」や「血」が消耗しやすいと考えられています。そのため、「何もしていない時間」が必ずしも悪い状態とは限らない、という見方は、こうした考え方とも重なる部分でもあります。
この研究は、「待つ時間は退屈だ」という思い込みを見直すきっかけを与えてくれるものです。
では、続きを見ていきましょう。
🧪 どんな研究?
この研究で行われたのは、とてもシンプルな実験です。
参加者は、一定の時間、椅子に座って待つように求められました。特別な課題は与えられず、考える内容も自由です。これからの予定を思い浮かべても、過去の出来事を振り返っても、取りとめのない空想をしても構いません。
一方で、外からの刺激はできるだけ制限されています。スマートフォンを見ること、時間を確認すること、眠ること、歩き回ること、飲食をすることはできません。日常ではすぐに何かで埋めてしまう時間を、「本当に何もせずに過ごす」状況を意図的につくっています。
この実験で特徴的なのは、待つ「前」と待った「後」で、参加者の感じ方をそれぞれ評価している点です。待つ前には、「この時間はどれくらい退屈そうか」「楽しめそうか」「集中できそうか」といった印象をたずね、待ち終えたあとには、実際にどう感じたかを同じ項目で振り返ってもらいます。
つまり、この研究が見ているのは、「待つ時間そのもの」ではなく、待つ前に思っていたイメージと、実際に体験したあとの感覚がどれくらい一致しているのかという点です。ここに、この研究のいちばん大きなポイントがあります。
⏳「待つ時間」をどう感じるかの予想
実験が始まる前、参加者には「これから待つ時間をどう感じそうか」をあらかじめ評価してもらっています。どれくらい楽しめそうか、退屈しそうか、集中できそうかといった、素朴な感覚についてです。研究では、これらをまとめて「課題への前向きさ」として扱っています。
その結果、待つ前の時点では、「楽しさ」や「興味」は低めに、「退屈さ」は高めに見積もられていました。
この傾向は、待つ時間が20分でも3分でも大きくは変わりませんでした。時間の長さに関わらず、「何もしないで待つのは退屈そうだ」という印象が、多くの人に共有されていたことになります。
📊 実際に「何もしない」はどう感じたか
「何もしないで待つ」時間を過ごした後、参加者には改めて「実際にどう感じたか」を評価してもらっています。
項目は、待つ前と同じで、楽しさ、退屈さ、集中できたかどうかといった感覚について、体験を振り返って答えてもらいました。
その結果、事前の予想とは少し違う様子が見えてきました。
実験で共通していたのは、待つ「前」に思っていたほど、「何もせずに待つ」時間は退屈なものではなかった、という点です。
強く楽しいと感じたわけではないものの、「思っていたほど退屈ではなかった」「それなりに考えに集中していた」といった評価が多く見られました。
この予想と実際の感覚の「ズレ」は、特定の条件だけで起きたものではありません。
外からの刺激をほとんど遮った環境でも、待つ時間を短くした場合でも、同じ傾向が確認されています。
待つ状況が変わっても、「想像していたよりは悪くなかった」という体験が繰り返し観察されました。
🔀 なぜ人は「何もしない」を避けてしまうのか
研究では、「何もしないで待つ時間」そのものだけでなく、人がどのような行動を選びやすいかについても調べています。その一つが、「何もしないで待つ」条件と、「ニュースを読める」条件を比べる実験です。
待つ「前」の段階で、参加者の多くは「ニュースを読む時間」の方を、「充実している」と予想していました。情報が得られて、退屈しにくいという印象があったためです。その結果、実際にどちらを選ぶかを問われると、「待つ」よりも「ニュースを読む時間」を選ぶ人が多くなりました。
ところが、実際に体験したあとの評価を見ると、少し意外な結果が現れます。
「ニュースを読む時間」の満足感は、「何もしないで待つ時間」と大きく変わらなかったのです。「待つ時間」は、事前に予想ほど悪くはなく、結果として体験の「質」に大きな差は生じませんでした。
つまり、人は行動を選ぶとき「実際にどう感じるか」よりも「良さそうに見えるかどうか」で判断している可能性があります。
「待つ時間」が避けられやすいのは、それが「退屈」だからというより、「退屈そうに見えてしまう」からだと、この実験は示しています。
🔍 この結果をどう考える?
私たちは、情報が多い状況のほうが、満足感も高くなると思いがちです。
ニュースやSNSのように、次々と新しい情報が入ってくる環境は、その典型です。しかし神経科学や行動医学の分野では、刺激が多い状態では注意が細かく切り替わりやすく、結果として集中が持続しにくいことが知られています。
「ニュースを読む時間」は刺激があり、見た目には充実していそうに感じられたとする一方で、「何もしないで待つ時間」は刺激がほとんどありません。
それにもかかわらず、体験後の満足感に大きな差が見られなかった点は、刺激の強さそのものが、実際の体験の良し悪しを決めているわけではないことを示しています。
「何もしないで待つ」状態は、脳にとって過度な情報処理を求められない時間とも言えます。その価値は主観的には過小評価されやすいものの、実際に体験してみると、想像していたほど悪くは感じられなかった──この研究結果は、そうした状態を行動レベルで確認したものと位置づけられます。
🌱 中医学の視点で見た「待つ時間」
中医学では、人の心身の状態を考えるとき、外から入ってくる刺激の量をとても重視します。情報や音、光、忙しさといった刺激が多い状態が続くと、「気」や「血」が消耗しやすくなり、心の働きも落ち着きを失いやすいと考えられています。
現代の生活は、こうした刺激に満ちています。
スマートフォンやニュース、SNSは、短い時間でも多くの情報を与えてくれますが、その分、注意は常に外に引き出され続けます。中医学的に見ると、消耗しやすい環境といえます。
今回の研究で設定された「何もしないで待つ時間」は、こうした刺激がほとんど入らない状況です。特別なことをしているわけではありませんが、外からの入力が減ることで、中医学では「消耗が起きにくい状態」と重ねて考えることができます。
📝 「何もしない」という選択
この研究が示しているのは、「何もしないで待つ時間」が、私たちが思っているほど「無駄な時間」ではない、ということです。
始まる前には退屈で意味のない時間だと思っていても、終わってみると、想像していたほど悪くはなかったことが、多くの実験で確かめられました。
それでも私たちは、「待つよりも、何かをしたほうが良さそうだ」と感じ、ニュースや情報に手を伸ばします。何もしない時間は、つい避けてしまいやすいものです。
情報があふれる時代です。中医学の視点を重ねると、外からの刺激を減らした時間は、「気」や「血」を温存する時間とも考えられます。何かを足さなくても、空白の時間そのものに意味があるのです。
ちょっとした待ち時間を、あえて「何もしない」選択にしてみる。この研究は、そんな見直しをしてみる余地があることを教えてくれたように思います。
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